2. posted by 井戸謙一弁護士の報告(その2) 2013/07/16
19:44
「転送希望、転送可」です。よろしくお願いします。ともに頑張りましょう。
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井戸謙一弁護士の報告(その2)
これは、本年6月23日の「いのちが一番!大飯を止めて、原発ゼロを求める集い」(主催 脱原発☆滋賀アクション)における滋賀弁護士会所属弁護士井戸謙一弁護士の報告である。井戸弁護士は、ふくしま集団疎開裁判の弁護団の一員として、奮闘してきている。そこでは、山本太郎さんとともに、5月新宿デモを勝ち抜いてきた。ここでは先の報告を、http://www.youtube.com/watch?v=OO9JMKuPbZ0に載った「集い」を見ながら、それを起こしたものである。長大になるがとても貴重、かつ、大事だと考え、ここに文字おこしをした。全責任は、京都生協の働く仲間の会にある。(その1)に続くものである。資料自身が、極めて重要なので、ぜひ、ユーチューブで確認されたい。また、資料「茨城県学校健診 平成12年度~平成24年度の速報まで(心電図異常)」(茨城県のHPより)のようなものを、皆さんで資料が集められるなら、お教えいただきたい。.
2013年7月11日京都生協の働く仲間の会keizirou.hushimi@gmail.com
20130623 《索引付》1a/2 井戸謙一弁護士@滋賀「いのちが一番!大飯を止めて、原発ゼロを求める集い」
滋賀弁護士会所属弁護士井戸謙一弁護士の報告
「平成25年6月23日
ふくしま集団疎開裁判仙台高裁判決に見る被曝の実態と闘いの方向」
於 於ピアザ淡海(主催 脱原発☆滋賀アクション)
1、
今後集団疎開裁判をどうするのか?という問題は、後回しにしまして、先ほど峯本さんからの報告にあった県民健康管理調査の結果、これを改めてご説明したいと思いますが、6月5日に発表がありました。
資料「県民健康管理管理調査の結果公表
(H25/6/5第11回検討会)平成23年度分
平成23年度 県内実施対象市町村」を指摘しながら、話す。
平成23年度と平成24年度検査対象。平成23年度検査対象は、ここにずっとあるように、だいたい浜通り、原発の近くのところが多いわけですが、1次検査約4万人のうち、2次検査対象205人ですか、2次検査対象になっているのが、だいたい0・5%ですね。そのうち2次検査実施者が166人で、そのうちがんの疑いが11人、その割合が6%と。166人で、まだ40人ほど2次検査を受けていませんから、同じ割合で行けばさらに増える可能性があります。
2、
資料「県民健康管理管理調査の結果公表
(H25/6/5第11回検討会)平成24年度分
平成24年度 県内実施対象市町村」を指摘しながら、話す
これが、平成24年度分ですね。これが、福島、郡山をはじめとする中通りです。1次検査約13万人のうち、2次検査対象935人ですか、2次検査対象になっているのが、だいたい0・69%ですね。で、浜通りの子供たちより、中通りの子供たちのほうが、2次検査の対象が多いです。そのうち2次検査実施者が255人しか実施していなくって、そのうち悪性(疑いを含む)が16人、その割合が6・27%と。同じ割合で2次検査の対象者から甲状腺がんが出るとすると、24年度分だけで、58人。
23年度分と合わせると、70人を超える子供たちが、甲状腺がんにかかっている可能性があると。
そういうことになります。
3、
で、私は、あの、低線量被ばくの危険の問題が議論されているときにですね、こんなことはしばらく経てばすぐ事実が明らかになって、そうなればどちらが正しかったかということは明らかになるし、世論も変わるし、政策も変わらざるを得ないだろうという風に思っていました。
そういう意味で去年の秋に、甲状腺がんの子供が一人出たと、これは大変なニュースだと思っていたんですが、一人といっても、本来100万人に一人の病気ですから、福島で一人出たらそれだけでも大変なことだと思っていたのですが、それでは全然世論なんか動かなかった。
それが今年の2月、10人ということになる。それでも、スクリーニング効果だと、検査したからそれだけ出たんであって、検査しなければそれだけ眠っていた甲状腺がんなんだと、だから、別に問題はないと、あるいは、放射能による甲状腺がんは、4、5年たってから出るんだから、今の甲状腺がんとは関係ないという言われ方をしてですね、それにみんなが納得するのかな、っておもったら、社会がなんとなく納得するような感じになった。
今度は、27人ですね。これで、納得できないだろうと思っていたが、なんとなく、それでも納得しているかのような、社会全体が、だからどうかと、騒がないですよね。
で、高市政調会長が、あの問題発言に対しても、千数百人の方が関連死している、それをどう考えるんだ、それは勿論その通りなんですけど、それだけじゃないだろう。これから起こってくる健康被害をどう考えるのか、それを一緒に言ってほしいと思ったけど、あんまり、そういうことは言わないですよね。
これは、甲状腺がんの、国立がん研究センターのがん統計で、1975年から2008年までの統計ですね。
資料「国立がん研究センター「がん統計」cancer incidence」(1975年から2008年)
より「甲状腺がんの罹患率(発生率)10万人あたり」です。
人口発生率10万人当たり、0歳から4歳、発生率0、まあ、ずっとほとんどないんです。0歳から19歳で、0・25から0・3ということは、100万人当たり2人から3人、大体15歳から少し増えてきますが、14歳までは、100万人に1人、そういう数字なんです。男女、計で。
4、
次、お願いします。
資料「事故時0歳~10歳だったチェルノブイリ周辺の子供たちに行った事故から5~7年目に詳しい甲状腺超音波検査を行った山下チームの調査結果(松崎医師のスライド)」
スクリーニング効果だということに対する反証としては、これはもうはっきりとしています。これは、このスライドは、山下俊一がチェルノブイリで同じように、普通の、病気でない子供たちの甲状腺のエコー検査をした。これが事故から5年後から7年後、事故後5年から7年ですね。大体結果は、こういうことなのですが、一番高いゴメリ、非常に高い高線量で、甲状腺がんの子供もたくさん出たのですが、このゴメリで9000人のうち2人、4500人に1人ですね。じゃあ、日本ではどうかというとですね、今、17万人ですね、検査している子供、17万人で検査を終わってないんで、仮に70人とするとですね、17000人に7人でしょ、8500人で、3・5人、これ、ゴメリは、8900人で2人ですから、ゴメリよりも、すでに甲状腺がんの発生割合は高いんです。
5、
資料「2003年3月9日今中哲二:Malko講演会の概要とコメントより(松崎医師のスライド)
「図2ベラルーシにおける甲状腺がん発生率の変化」(1975ー2001)」
しかも、ゴメリで、今の検査は、1990年から1993年くらいにされているんですね、山下さんの調査時期は。これは、甲状腺がんが増えだした時期です。この後、ぐっと増えていくわけですが、この増えだした時期のゴメリよりも、事故から2年後の福島のほうが、甲状腺がんの発見率が高い。
(注:チェルノブイリの事故では、1986年4月26日に事故が起き、4年後の1990年ごろから甲状腺がんが増えだした。福島事故は、2011(平成23)年3月11日であり、その1年もたたないうちから甲状腺がんが増えだした。)
チェルノブイリの場合は、こういう風に増えていったわけですから、山下氏の調査時期を境にして、ぐっと増えていったわけですから、それはもう、福島でも、こんなに、この辺まで来ているわけですから、2年後にゴメリを超えるまで来ているわけですから、今後どういう風に増えていくのか?大変気がかりです。6、
次、お願いします。
資料「ゴメリ地域(ベラルーシ)の小児の疾病発症率(1985~1997 人口10万人当たり)
(核戦争防止国際医師会議ドイツ支部:チェルノブイリ原発事故がもたらしたこれだけの人的被害)
2012年合同出版」
問題は甲状腺がんだけではないということですよね。国際 原子力村は甲状腺がんしか認めてないので、まるで放射能による被害は甲状腺がんだけであるかのような言われ方がしていますが、チェルノブイリの例を見ても、もう心臓疾患から、呼吸器疾患から、内分泌系の疾患からですね、それから、出産の、異常出産とかですね、いろんな、ありとあらゆる病気が出てきます。
これは、今まさに話題に出たゴメリ地域の子供の疾病発症率。
一番左は、1985年チェルノブイリ事故前です。(チェルノブイリの事故は、1986年)。ここから90年から97年まで、人口10万人当たりです。
事故前は、人口10万人当たり9771.2人子供が疾病にかかっていた。それが、1990年7万3000、93年10万、94年12万、95年12万、96年12万、97年12万4000人。12万人というのは、1人の子供が、複数の疾病にかかっているということですよね。桁が二つくらい違うんです。
呼吸器疾患が、事故前85年は、760・1人、それが、97年8万2688・9人です。多い、循環器系ですね、心臓関係ですね、それが、多いんですが、事故前85年は、32・3、それが、97年425・1です。
内分泌系が、3・7が、1111・4とかですね、もう大変な数字です。
甲状腺がんが、増えているということは、それだけ被ばくしているということなので、それは、甲状腺がんだけに終わらずに、漸進的な各種の疾病というのがですね、これから2から3年後ですね、ぐっと福島で増えていくそういう危険があるのではないうかということです。
6、
資料「ウクライナ政府(緊急事態省)
報告書「チェルノブイリの事故から25年、”セイフティー フォア ザフーチュアー
・健康な子供の比重は、1992年の24・1%から2008年には5・8%に減少し、慢性疾患のある子供の数は、1992年の21・1%から2008年の78・2%に増加。
・1997年ー2001年に30キロメートルゾーンに避難した子供(A)と汚染地域の子供(B)の間で健康な子供の減少というのは、はっきりとした傾向が観察された。
Aグループ(%) Bグループ(%)
健康である 0 0・3
慢性疾患のリスクがある 23・4 26・1
慢性疾患がある 63・9 57・5
重篤な疾患がある 12・7 10・1
これは、ウクライナ政府の公式報告書ですね。チェルノブイリ事故から25年(2011年)という公式報告書ですが、健康な子供、1992年24・1%、これはもう事故後ですが、これ自体非常に少ないのですが、もちろん、事故前は健康な子供は、8割から9割の子供が健康だったわけですが、事故後でも、事故後6年1992年で24・1%、それが事故後年月がたてばだんだん回復すると思ったらそうじゃなくって、どんどん悪くなるんですね。2008年には、5・8%しか健康な子供はいない。慢性疾患のある子供が、1992年21・1%だったのが、2008年には、78・2%に増加している。
これも同じですね。
30キロメートルゾーンから避難した子供と、汚染地域の子供、汚染地域の子供というのは、あの、今の低線量の福島、あるいは、北関東のレベルですけれど、健康な子供は、避難した子供はゼロ、慢性疾患がある、ほとんどが病気だということですね。
7、
次、お願いします。
資料「取手市の小中学校の各1年生の心電図検査結果
・茨城県取手市の市立小中学校の学校検診。検査は小中学校の1年生に実施。毎年度5月に1600人から1700人が受診。精密検査が必要とされた子供は、2010年度までは、最高で1・79%(書き起こし者注、以下同じ:1700人として、約28・9人)だったのが、11年度には、2・38%(約40・46人)、12年度は5・26%(約89・42人)になった。
また精密検査で疾患や異常が見つかった子供は、2010年度までは、最高0・71%(約12・07人)だったのが、11年度は、1・28%(約21・76人)、12年度は1・45%(約24・65人)だった。ただし、12年度は、「要精密検査」とされながらも、公表時点で受診していない子供が、3分の1以上おり、3団体は、「受診者が増えれば数値が上がる可能性がある。」とみている。
・QT延長症候群 2008年~2010年 各1人 2011年2人 2012年8人
(なお、書き起こし者注:
家族性突然死症候群(QT延長症候群)とは
突然、脈が乱れて立ち眩みや意識を失う発作が起こる遺伝性の病気です。意識を失う発作が止まらない場合は死亡することがあります。しかし、発作がないときは自覚症状は全くありません。=難病情報センター)」
じゃあ、そういう兆候がすでに表れているのではないかということで、なかなか福島のデーターは表れてこないのですが、これは、取手市(茨城県)の小中学校の各1年生の心電図検査結果で、要精密検査の子供の数ですね、それが、23年度、24年度と、それまでに比べてぐっと上がっている。
8、
資料「茨城県学校健診 平成12年度~平成24年度の速報まで(心電図異常)」(茨城県のHPより)
これは茨城県全体の子供の心電図検査で、「心電図異常」と判定された子供の数です。で、22年度、23年度、24年度ですね、急に24年度、増えている。
9、
資料「牛久市学校健診(心電図関連)
「 平成23年度 平成24年度
要精密検査・小学校 0・40% 0・55%
要精密検査・中学校 0・15 0・89
要精密検査・合計 0・28 0・71
要管理者・小学校 0・13 0・55
要管理者・中学校 0・15 0・73
要管理者・合計 0・14 0・64」
これは、牛久市の、茨城県ですね、茨城県の牛久市の学校健診の心電図検査で、やはり異常が発見された子供の割合、23年度と24年度で、小学生中学生すべて増えているという。(続く)
「転送希望、転送可」です。よろしくお願いします。ともに頑張りましょう。
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これは、本年6月23日の「いのちが一番!大飯を止めて、原発ゼロを求める集い」(主催 脱原発☆滋賀アクション)における滋賀弁護士会所属弁護士井戸謙一弁護士の報告である。井戸弁護士は、ふくしま集団疎開裁判の弁護団の一員として、奮闘してきている。そこでは、山本太郎さんとともに、5月新宿デモを勝ち抜いてきた。ここでは先の報告を、http://www.youtube.com/watch?v=OO9JMKuPbZ0に載った「集い」を見ながら、それを起こしたものである。長大になるがとても貴重、かつ、大事だと考え、ここに文字おこしをした。(全責任は、京都生協の働く仲間の会にある。)。ぜひ、ユーチューブの閲覧もしてください。主催者と井戸氏の重大な努力と厚意にこころから感謝です。
核心は、ここで指摘された問題点を何としても克服して、必ず、現実の疎開を国、東京電力の責任で、ただちに行わせよう、そして、40万人の福島の子供らを被ばく・殺させない、守ろう!ということです。大部になりますので、(続く)が、多くなります。よろしくお願いします。
2013年7月11日京都生協の働く仲間の会keizirou.hushimi@gmail.com
20130623 《索引付》1a/2 井戸謙一弁護士@滋賀「いのちが一番!大飯を止めて、原発ゼロを求める集い」
滋賀弁護士会所属弁護士井戸謙一弁護士の報告(その1)
「平成25年6月23日
ふくしま集団疎開裁判仙台高裁判決に見る被曝の実態と闘いの方向」
於 於ピアザ淡海(主催 脱原発☆滋賀アクション)
1、
こんにちは、弁護士の井戸でございます。よろしくお願いします。
私に与えられた演題は、「ふくしま集団疎開裁判仙台高裁判決に見る被曝の実態と闘いの方向」という事でございます。
45分間ということですので、できるだけ手短に、掻い摘んで行いたいと思います。
2、
我々の課題は、原発を、全ての原発を廃炉に追い込んでいくということと、福島の膨大な被害者の方々を少しでも支援する、その支援の内容と言うのは、今言われている復興とか言うことよりも、まず、健康被害を少しでもなくしていくということだと思うんですけれども、その2つの課題というのは、決して別々の課題というのではなくって、密接に結びついているということを認識しないといかんと思っています。
原発を再稼働して、輸出をして、どんどん原発政策をこれからも進めていくんだという事の大きな理由に、放射能の被害は大したことないんだというそういうことを洗脳しようとしている、かれらは、している。
最近高市、自民党の政調会長が、はからずも、本音を言いましたけれども、一人も、福島の事故で死んでいないではないかと、だから原発再稼働しようと。そういう理屈で、再稼働を進めていきたいというのが彼らの本音だという風に思います。
日本だけではなく、国際的な原子力村というのかな、推進しようという勢力は、もちろん、チェルノブイリの時からしていたことで、チェルノブイリ事故の健康被害をできるだけ小さく見せようとした。いまだに、ビクビタートルという直接の事故処理に当たった人たちと、あとは、子供の甲状腺がんしか、因果関係のある疾病を認めていない。
現実としては、ベラルーシでも、ウクライナでも、健康な子供は、2割しかいないという、大変な状況が目の前にあるのに、それをすべてストレスのせいだという風に、切り捨ててしまおうとしている。ウクライナ、ベラルーシでは、大がかりな移住政策が行われました。それを彼らは、失敗だったと認識している。そんなに移住させる必要はなかったと。その教訓を福島に、「生かそう」としている。
で、福島では、まるでああいう事故はなかったかのような政策が取られていて、そのために、日本国内だけでなく、国際的な力を使って、全然心配する事、ないんだと、今までどおりの生活を進めていいんだというそういう宣伝がなされてしまっている。
それに、 多くの日本国民、主たる責任はメディアあると私は思っていますが、洗脳されつつある。先ほどちょっとご紹介いただきましたけれど、
甲状腺がんの発表が随時なされていて、こんな事態になっていながら、世の中がこんなに静かだということが、私には信じられないという思いで、今、います。
3、
で、その話になる前に、福島集団疎開裁判の話をさせていただきたいと思います。
お願いします。
福島集団疎開裁判というのは、ほとんど報道されないので、あまりよくご存じない方が多いと思います。
資料「福島集団疎開裁判とは」を、以下、示す。
「
・H23.6.24
郡山市の14人の小中学生が郡山市を相手取り、福島地裁郡山支部に提訴。
・求めた内容
「郡山市は、年1ミリシーベルトを超える環境下の学校施設で教育活動をしてはならない。
年1ミリシーベルト以下の環境下の学校施設で教育活動をしなければならない。」
・請求の根拠 公教育の主宰者としての安全配慮義務
H23.12.17 却下決定
H23.12.27 仙台高裁に不服申し立て
H24.10.1~H25.1.21 3回の審尋期日がもたれる。
H25.4.24 高裁の却下決定」
H23.6.24、だから3・11の約3ヶ月後ですね、郡山支部に訴えを起こしました。この裁判が起こるきっかけはですね、今も弁護団長をやっている柳原という、私の大学時代からの友人の弁護士が、郡山に言って、郡山のお母さんたちと話をしてですね、やはり行政の責任で、避難移住させてほしい、疎開させてほしいと、なんか方法はないかということで、じゃあ、裁判を起こしてみたらどうかということから始まったんですね。
私のところに随時相談は受けてて、私は最初、弁護団に入っていなかったのですが、そのうちに、
やるなら一緒にやろうかということで、私も弁護団に入ることにしました。その時は、弁護団は10人くらいいたんですね。10人もいるから私は末席でいいと思っていたら、ああいう弁護団というのは、名前だけの弁護士というのがたくさんいまして、実は、入ってみたら、実働は私以外に二人しかいないということが分かった。結局、3人で実質始めたんですね。
で、私は、6月24日に初めて、郡山支部に行きまして、そこで原告のお母さんたちとも話をしました。
その時は、こういう風な同じような気持ちのお母さんたちはたくさんいると、こういう裁判が起これば、次から次から郡山だけではなくて、二本松でも、福島でも、同じような声が上がるんじゃないかという風に、みなさん、言っていました。それに私は期待していたし、当然そうだろうという風に思っていました。ところが、現実には、それに続く動きは全くなかった。
4、
で、何を求めたかというと、「請求の根拠は、公教育の主宰者としての安全配慮義務」、郡山市の教育委員会は、公教育を主宰しているわけで、憲法上の義務として主宰しているわけですから、その主宰することによって、子供の健康を害してはいけない、当然、子供の健康を配慮して、配慮するべき義務がある。その内容として今の郡山で教育することが、子供の健康を害するのであれば、別なところに疎開させて、そこで教育をするという義務があるだろう。それに基づいて、裁判所に対しては、「郡山市は、年1ミリシーベルトを超える環境下の学校施設で教育活動をしてはならない。
年1ミリシーベルト以下の環境下の学校施設で教育活動をしなければならない。」というそういう判決を求めました。
で、その年の年末に却下、で、すぐ仙台高裁に不服申し立てをしました。
で、まあ、国策に反する判決になりますから、そう簡単には通らないのかなと思って、簡単に蹴られるかなと思ったらですね、非常に高裁、時間をかけまして、H24年10月から今年の1月までに3回の審尋期日をもうけ、この1月21日が最後、これで終わりますということだったので、大体こういう判決とかいうのは、長くても2カ月、2か月以内に判決をしなさいという風に言われているんですね。大体それくらいで、大きな事件でも出るんですが、3カ月以上かかって、4月24日になってようやく、高裁の却下決定が出たという経過になります。
4、
資料「一審決定の論理」、以下を見ながら、話す。
「一審決定の論理
・結果的には、疎開したくない子供も含めて郡山市の小中学生3万人を強制疎開させることを求める申し立てであるから、これを認めるには、被害の危険が切迫しており、重大な損害が生じることが明らかで、他に方法がないことを要する。
・除染がそれなりの効果をあげており、ガラスバッジの測定結果も高いものではない。100ミリシーベルト以下の低線量被ばくの被害については実証的裏付けがないこと、文科省通知によって、20ミリシーベルトが目安とされたこと等によると、子供たちに切迫した危険性があるとは認められない。」
で、一審はどういう論理で却下したかというとですね、こちらとしては、日本の法律が1ミリシーベルト以上の被ばくを一般公衆にはさせないと決めているんだから、当時、郡山は、もう、年間に換算したら、5ミリシーベルト、10ミリシーベルト程度の線量がありましたから、もうそれだけで、それだけで、認める判決を出すべきだと。内部被ばくだとか、低線量被ばくだとか、もちろんそういう問題もあるんだけど、そういう議論に入って行ったら、時間かかるので、あまりそういう議論をしないで、できるだけ議論を単純化させようとした。
郡山市のほうも別に、100ミリシーベルト以下なら安全だとか、そういうことは主張していなかったんですが、判決ではですね、100ミリシーベルト以下の低線量被ばくの被害については実証的裏付けがないし、文科省も20ミリシーベルトを目安としているなどを理由にして、子供たちを疎開させなければいけないほど、切迫した危険があるとは認められない、というそういう理屈で却下しました。
で高裁段階では、一審がそういう理屈だったので、この低線量被ばくの危険性ということを、詳細に立証しました。たくさんの学者の方々、あるいは、医者の方々に意見書を書いていただいたり、それから協力するたくさんの市民の方が、たとえばモニタリングポストで、ここまで除染の効果があって、ここまで空間線量が下がっているというのですが、それがいかにインチキであるかということをですね、実際に現地を回ってずっと測って、調査していただいたりとか、いろんな方の協力がありました。
で、その議論では絶対に負けていない。高裁では絶対に負けていない。
郡山市はどういったかというと、とにかく線量は下がってきていて、もうほぼ1ミリシーベルトのラインまで来ていると、だから心配ないというそういう理屈だったんです。
それはまやかしであるということを、こちらは立証しようとしました。
その郡山市の理屈を論破できればですね、次は低線量被ばくの問題に入らざるを得ない。低線量被ばくの問題に入れば、完全にこちらが勝ってますから、危険だと、子供たちが危険だとならざるを得ない。そしたらやはり疎開させるべきだという結論に、裁判所もとらざるを得ないのではないか、と、思っていました。
しかし、裁判官、なかなか、もしそういう結論を出すとしたら、相当勇気がいるだろうなと、思っていたので、どこかで、理屈を捻じ曲げる可能性はあると思っていたのです。が、いったい、どういう理屈で捻じ曲げるのか、と思っていたら、しっかり、捻じ曲げられて却下されたのです。
5、
資料「高裁決定の論理(1)」を見ながら、話す。
「高裁決定の論理(1)
・福島に住み続けることの危険性を正当に認めた。
「抗告人は、強線量ではないが低線量の放射線に間断なく晒されているものと認められるから、そうした低線量の放射線に長期間に わたり継続的に晒されることによって、その生命・身体・健康に対する被害の発生が危惧されるところであり、チェルノブイリ原発事故後に児童に発症したとさ れる被害状況に鑑みれば、福島第一原発付近一帯で生活居住する人々とりわけ児童生徒の生命・身体・健康について由々しい事態の進行が懸念されるところであ る。」「今なお相手方の管轄行政区域内にある各地域においては、放射性物質から放出される放射線 による被ばくの危険から容易に解放されない状態にある」「抗告人が主張するような「集団疎開」は、抗告人が主張するような
被ばく被害を回避する一つの抜本的方策として、教育行政上考慮すべき選択肢であろう。」
大事なのは、福島に住み続けることの危険性を正当に認めたということです。
抗告人とは子供のことです。
抗告人は、強線量ではないが低線量の放射線に間断なく晒されているものと認められるから、そうした低線量の放射線に長期間に わたり継続的に晒されることによって、その生命・身体・健康に対する被害の発生が危惧されると。
チェルノブイリの例などによると、とりわけ児童生徒の生命・身体・健康について由々しい事態の進行が懸念されるところである。
いまなお、除染の効果もあがっていなくて、被ばくの危険から容易に解放されない状態にある。
「集団疎開」は、そういう被ばく被害を回避する一つの抜本的方策として、教育行政上考慮すべき選択肢である。
と、ここまで述べた。そしたら、請求を認めるしかないと思うのですが、どういう理由であったのかというと、これがまたわからないのです。
6、
資料「高裁決定の論理(2)」を見ながら、話す。
「高裁決定の論理(2)
・どういう理由で請求を却下したのか
「抗告人は、郡山市に引き続き居住する限りは、相手方の設置する学校施設以外の生活空間において既に抗告人がその生命・身体・健 康に対する被害を回避し得る上限値として主張する年間の積算被ばく量を超える量の放射線を被ばくすることが避けられないこととなるから、学校生活における 被ばく量の多寡にかかわらず、その主張する被害を避けることはできない計算となる」
「年間の積算放於線量の被ばく回避を目的とする抗告人主張の差止請求権の発生を認める余地はない。」
「ところで、抗告人の転居する地域に相手方が学校施設を開設してそこでの教育活動を施 すことは、現に抗告人が被っている放射線被害から解放される一つの選択肢ではあろうけれども、そうした地での教育は、そうした地における教育機関によって 行われることが原則であり、遠隔地の公的教育機関がわざわざ地元の公的教育機関を差し置いてまで別の学校施設を開設する必要があるとはいえない。」」
最初に見ていただきましたけれど、われわれの求めたものは、「年1ミリシーベルトを超える環境下の学校施設で教育活動をしてはならない。年1ミリシーベルト以下の環境下の学校施設で教育活動をしなければならない。」ということであり、それは行政の責任で子供たちを移しなさい、移す責任があると主張したのですが、裁判所はそれをバラバラにしてしまって、一体のこととして、こちらは主張しているのですが、それを裁判所はバラバラにしてしまいました。
そして、「年1ミリシーベルトを超える環境で教育をしてはならない。」という請求に対しては、学校生活での被ばくの多寡にかかわらず、日常生活で、1ミリシーベルト以上の被ばくをするから、その主張する損害を避けることができないから、だから、そういう申し立てをしても意味がない。という趣旨なんです。
郡山市に引き続き居住する限りは、学校以外の生活空間において、年間被ばく線量を超える被ばくをすることは避けられないから、だから学校生活の被ばくの量の多寡にかかわらず、その主張する被害を避けることはできない。学校に通わなければならないから、郡山市に生活しなければならないんです。学校を抜きにしても、1ミリシーベルト以上の被ばくをするから、学校のことをとやかくいっても意味がないという、とても理屈になっていない理屈です。
それから、じゃあ、その1ミリシーベルト以下のところで、教育活動をせよという請求に対しては、もうすでに子供が転居していることを前提にして、転居した場合には、郡山市が、その転去先で学校施設を開設して教育活動を施すことは、1つの選択肢だけど、そこではそこの地の教育機関によって教育がおこなわれることが原則だから、わざわざ遠くまで行って、地元の公的教育機関を差し置いてまで別の学校施設を開設する必要があるとはいえない。と。
とても屁理屈としか言いようがない。全く二つを切り離している。そうじゃなくって、郡山市の責任で移すべきだと言う義務があるということに対しては、全く正面から答えてないです。
まあ、これが屁理屈だということは、裁判官自身が分かってないはずはないので、屁理屈を言ってでも認めることはできなかった。
ただ、裁判官としては、私の経験から、わかりますが、こういう結論を出すのなら、前の段階で、低線量被ばくの危険があるなどと言う必要はないんですね。仮に申立人が言うようにそういう危険があるとしても、こういうことだから、申し立ては却下するという風に、言えばいいんです。
ところが、敢えて、必要がないのに、
低線量被ばくの危険がある、ゆゆしい事態の進行が懸念されるとまでいったのは、やはり、それは裁判官も、これはさすがにまずいと、これは、結論は、申し立ては認容できないけど、裁判所の認識として、そういう危険があるということをちゃんと言う必要があると、思ったに違いない。という風に思っています。決定は、裁判所が低線量被ばくの危険性を認めたという点で大きな意味があったと思いますが。
7、
資料「福島集団疎開裁判の特徴」をパワーポイントで指摘しながら、話す。
「福島集団疎開裁判の特徴
・大手メディアの徹底的な無視
・外国メディアの注目
・多くの科学者の支援(矢ケ崎名誉教授、澤田名誉教授、山内教授、松崎医師、松井医師等。)
・多くの市民の協力
・国内外の著名人の支持
(ノーム・チョムスキー、キャサリン・ハムネット、レミー・バガーニ(ジュネーブ市長)、小出裕章、広瀬隆、広河隆一、山本太郎、ちばてつや、野中ともよ、おしどりマコ、神田香織、坂本龍一、高橋哲也、柄谷行人、そのほか多数)
・福島県内ではほとんど知られていない。」
この裁判の特徴というのは、大手メディアが徹底的に無視したということです。高裁の決定は、裁判所が、ああいう形で、低線量被ばくの危険性を認めたという点で大きな意味があったと思いますが、これを報道したのは、東京新聞だけ、あとは、全て無視しました。最初はですね、申し立てた段階で、ある程度、関心を持っていて、たとえば、ニュース23などですね、2回目、3回目などついて歩いていたんです。ところが、ある段階から、ぱたっと連絡がなくなった。全く報道されなくなりました。なんらかの力が働いていたと思いますが。
ただ、一方で、外国メディアは大変注目しまして、ドイツのテレビと韓国のテレビは、特集番組を作りました。高裁の決定も、世界中の有力報道、有力新聞が、報道しました。ワシントンポスト、ニューヨークタイムス、ガーディアン、ABCテレビなど、写真入りで大々的に報道しました。だから世界中の人が知っているのに、日本人だけが知らないと、そういう非常にいびつな状況ですね。
たくさんの科学者の方々が、支援して、意見書を書いてくださいました。多くの市民の協力もありました。また、国内外の著名人も支持を表明してくれました。
ノーム・チョムスキーとは、有名な方です。私、キャサリン・ハムネットさんとは、全然知らなかったんですが、有名なデザイナーなんだそうですね。その世界では、非常に有名な方だそうです。あと、レミー・バガーニジュネーブ市長、あと、たくさんの方々。
で、実はこの運動は、原告の方が、今の福島の状況の中で、名前を出して表に出ることはできないというので、それに代わって支援する市民が表に出ようということで、福島集団疎開裁判の会というのを作って支援をしました。
だけど、一審段階ではですね、裁判のたびに支援集会などしましたけれど、まあ、せいぜい20人くらいかな、集まっていただくのが。で、非常にさみしいものだったし、そもそも存在がなかなか知られなかった。
2審になって、官邸前の金曜日の行動が始まって、あれだけ人が集まっているんだから、あそこで宣伝しようじゃないかということで、毎週金曜日に文科省前での宣伝というのを、6月から7月くらいから始めた。それであのたくさんの方々に知っていただくようになって、熱心に支援してくださる方がたくさん出てきました。そういう中で、ブックレットなども作ることができて、今日も後ろのほうに、5部ほど置いてますが、1部500円ですので、よろしければ、もうすでに持っておられる方もたくさんいると思いますが、まだの方は、お買い求めいただけたらと思いますが。
で、2月と5月、新宿では、集会とデモをしましたが、その時には、600人くらいの方々が、デモに参加していただくと、というような形で、
そういう意味では、一審段階とは比べ物にならないくらい、たくさんの方々が熱心に支援していただいていますが、しかし、実は、福島県内ではほとんど知られていない。福島の肝心のお母さんたち、お父さんたちは、この裁判のことをほとんど知らないんですね。その状況は今も変わっていません。(続く)